2020年4月12日
再現性の高いレシピは素晴らしいが、再現性の低いレシピにも良さがある。遠い国のキッチンに思いを馳せられるような本が好きだ。細川亜衣さんのレシピには、ちょっとお高めで食材のバリエーションに定評があるような高級スーパーでもなかなかお目にかかれない野菜が普通に顔を出したりするのだけれど、手に取りたくなる魅力に溢れている。使う調味料の種類は少なく、手順もたいがいシンプルな分、素材のよさと作り手の腕に左右されるところが大きいという点でもハードルは高い。他にない写真がふんだんに使われた本の作りはどれも美しくぜいたくで、しかし不思議とお高くとまって突き放すような感じはない。添えられる文章の数々が、食べものへの愛に満ち満ちているからかもしれない。
いちご畑を持たない者は、いちごを店で買うことになるが、まずは小粒のものを選ぶことから始める。
かたちが不揃いならばなお結構、熟れ具合もいろいろあっていい、皿の上でも口の中でも、同じでないことのおいしさを発見できる。
『愛しの皿』で読者の目に最初に飛び込んでくる文章がこれだ(いちごとラディッシュのサラダに寄せられたエッセイである)。こんなの一発で好きになっちゃうだろ! というか文章力が高すぎやしないか。
というのを昨夜しみじみと噛みしめて、同著に載っている「すっぱ鶏」が作りたくなったので手羽元を買いに行った。無塩バターが相変わらずぜんぜん手に入らない。前回は助けてくれたクイーンズ伊勢丹も無塩だけすっかり空っぽだった。22cmのケーキ練習はしばらくお休みかもしれない。新高円寺、メロンパンの看板が外れた店にはから揚げ弁当とマンゴータルトと多国籍の惣菜が不思議な取り合わせで並んでいた。
買い物から帰ると祖母が入院している病院からコロナ患者が出たとのニュース。にわかにざわつく。母とその兄弟がグループ通話で緊急会議を開くのを耳に挟みながら台所に立つ。まだニュースを知らないという祖母に伝える言葉を子どもたちが慎重に選んで当人に電話をかけると、祖母はすっかり事実を知っていたし思いのほかあっけらかんとしていた。
そんなようなこともあってこのところ考えることが多そうな母が焼いてくれたりんごのヨーグルトケーキ(母の定番で、バターを使わない)を食べる。